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「何もしていない」と言われる人は、本当に何もしていないのでしょうか?  ― 実験カウンセラーが考える、目に見えない努力と心の時間 ―

執筆者の写真: しんちゃん
しんちゃん
3 時間前
読了時間: 12分

「いつまでそんな生活をしているの?」

「一日中家にいて、何をしているの?」

「少しは何か始めたら?」


こんな言葉、耳にしたことはありませんか?




突然ですが、皆さんに質問です。

「何もしていない人」って、本当に存在するのでしょうか?


例えば、朝起きて、食事をして、スマートフォンを眺めて、また横になる。

外出もしない。仕事もしない。誰とも会わない。

周囲から見れば、何もしていないように見えるかもしれません。

でも、その人の頭の中では……

「自分はこのままでいいのだろうか」

「また今日も何もできなかった」

「みんなは前に進んでいるのに」

そんな言葉が、一日中繰り返されているかもしれません。

だとしたら、その人は本当に何もしていないのでしょうか?


「そもそも、人間が『何もしていない』って、どういう状態?」

いや~……。

考えれば考えるほど、この言葉って不思議なんですよね。

なぜなら、私たちは他人の行動を見ることはできても、その人の心の中で起きていることまでは、簡単には見えないからです。


私は、ここに大きな疑問を感じるのです。

もしかすると私たちは、目に見える行動だけを「努力」と呼び、目に見えない心の葛藤を見落としているのではないでしょうか?


今日は、そんな人間の価値と心の時間について、一緒に考えてみたいと思います。






■ 「何もしていない」という言葉の正体

例えば、こんな人がいたとします。

朝起きて、食事をして、スマートフォンを眺める。

しばらくすると、また布団に戻る。

特に外出するわけでもなく、誰かと会うわけでもない。

そんな一日を過ごしています。

周囲の人から見れば、こう思われるかもしれません。

↓↓

「毎日何をしているんだろう?」

「もっと何かできるはずなのに」

「少しくらい頑張ってみたら?」

もちろん、そのように感じる人にも、それぞれの事情や心配があることでしょう。


しかし、ここで一つ質問です。

皆さんは、この人が本当に何もしていないと断言できますか?


もしかすると、その人は朝からずっと、こんなことを考えているかもしれません。

「今日こそは外に出たい」

「でも、人に会うのが怖い」

「こんな自分でいいのだろうか」

「家族に申し訳ない」

「明日こそ何かしなければ……」

こうした思いが頭の中を繰り返し巡っているとしたら、どうでしょうか。

身体は動いていなくても、心は休まっていないかもしれません。


もちろん、すべての人がそうした葛藤を抱えているとは限りません。

本当にのんびりと休んでいる人もいるでしょう。

それ自体が悪いという話でもありません。


私がここで伝えたいのは……

「目に見える行動が少ない」ということと、「その人の内側で何も起きていない」ということは、まったく別の話ではないか?

ということです。

にもかかわらず、私たちは時々、目に見える部分だけで人間を評価してしまいます。

一体なぜなのでしょうか。





■ 人間の価値は、生産性で決まるのか?

少し視点を変えてみましょう。

私たちは幼い頃から、さまざまな形で評価されながら生きてきました。

学校では、テストの点数や成績。

職場では、仕事の成果や実績。

社会では、学歴、職業、収入など。

もちろん、これらが社会生活において重要な意味を持つことは否定しません。

努力が成果につながることもありますし、責任を果たすことが求められる場面もあります。


しかし、私は時々・・・

「社会的な評価」と「人間そのものの価値」を、私たちは混同していないだろうか?

と、考えます。

例えば、仕事で大きな成果を出していた人が、病気や家庭の事情で働けなくなったとします。

その瞬間、その人の人間としての価値まで下がるのでしょうか?

学校で成績優秀だった子どもが、不登校になったとします。

学校に行けなくなった途端、その子の価値はなくなるのでしょうか?


私は、そうは思いません。

もちろん、働くことや学ぶことには、それぞれ大切な意味があります。

ただ、それらができるかどうかだけで、人間の存在価値を決めてしまうことには、強い違和感を覚えます。

人間の価値と、人間が生み出す成果は、必ずしも同じものではない。

これは、私が実験カウンセラーとして大切にしたい考え方の一つです。





■ 不登校やひきこもりの「何もしていない時間」

ここで、私の専門分野でもある不登校やひきこもりについて考えてみたいと思います。

まず、親御さんの立場から考えてみましょう。

子どもが学校に行かなくなり、毎日のように自宅で過ごしている。

昼夜逆転してしまったり、ゲームやスマートフォンに長い時間を費やしたりすることもあるでしょう。


そんな姿を見ていると、

「このままで本当に大丈夫なのだろうか」

「何とかしてあげたい」

「将来、社会に出られるのだろうか」

と、不安になるのも無理はないと思います。

親御さんにも親御さんなりの苦しさがあるのです。

一方で、子どもの立場から見たら、どうでしょうか。


学校に行きたい気持ちはあるのに、身体が動かない。

友達のSNSを見るたびに、自分だけが取り残されているように感じる。

家族が心配してくれていることはわかっていても、その心配に応えられない。


そんな状態に置かれている場合もあります。

ただ、ここで気をつけたいことがあります。

不登校やひきこもりの人が、必ずしも同じ気持ちを抱えているわけではないということです。

学校に戻りたい人もいれば、別の道を探したい人もいる。

今は誰とも関わりたくない人もいれば、誰かと話したくて仕方がない人もいる。

だからこそ、「不登校だからこうだ」「ひきこもりだからこうだ」と、ひとくくりにはできません。

そして私は、こう考えています。

「何もしていないように見える時間」を、周囲の人が勝手に「無意味な時間」と決めつけることはできないのではないか。

その時間の中で何が起きているのか。

何に苦しみ、何を望み、何を避けようとしているのか。

それを知ろうとすることが、支援の出発点になるのだと思います。



■ ここで一つ、心の実験を提案

さて、勝手ながら恒例の・・・(だれもまっとらんがw)

今回も、実験カウンセラーらしい時間がやってまいりました(笑)


今回の実験は……

🔬『見えない努力の観察実験』


次の2人を想像してみてください。

※以下は考えるためにつくった架空の人物です。


【Aさん】

毎日会社に出勤し、仕事をこなしています。

職場では評価され、周囲からも「よく頑張っているね」と言われています。

本人は仕事に慣れていて、大きな苦痛を感じることなく毎日を過ごしています。


【Bさん】

長い間、自宅で過ごしています。

外に出たい気持ちはあるものの、強い不安を感じてしまいます。

今日も玄関まで行きましたが、どうしても外に出ることができませんでした。

それでも、玄関まで歩いたことには、本人なりの大きな勇気が必要でした。

さて、皆さんに質問です。

この2人のうち、どちらが「頑張っている」と思いますか?


A:毎日仕事をしているAさん

B:外に出ようとしているBさん

C:どちらも頑張っている

D:この情報だけでは判断できない



少しだけ考えてみてください。今回の答えもまた、特別な意味があるかもしれませんよ・・・?😏

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さて、答えは決まりましたか?

私の答えは……



D,の「この情報だけでは、2人の努力の大きさを比べることはできない」です。


なぜなら、目に見える成果と、その人が費やしている心のエネルギーは、必ずしも比例しないからです。

・Aさんは、毎日仕事をしている。

それは社会的に評価される行動でしょう。

・Bさんは、玄関まで歩いただけ。

そう見えるかもしれません。

しかし、その「玄関まで歩く」という行動が、Bさんにとっては大きな挑戦だった可能性があります。


だからといって、Bさんのほうが偉いと決めつけたいわけでもありません。


ここで、もう一つ質問です。

「そもそも私たちは、なぜこの2人を比較しようとしたのか?」


少し意地悪な質問かもしれませんね(笑)

でも、ここが今回の実験で最も考えてほしい部分なのです。

私たちは無意識のうちに、誰かを比較し、順位をつけ、評価しようとしてしまうことがあります。

しかし、人が抱えている事情も、感じている負担も、歩んできた人生も違います。

そんな人間同士の努力を、一つの物差しだけで比較することができるのでしょうか。


誰かの頑張りを認めるために、別の誰かの頑張りを否定する必要はない。

私はそう思うのです。



■ 「休んでいていい」と「何もしなくていい」は同じではない

さて、ここで一つ誤解してほしくないことがあります。


私は、何も行動しなくても、すべてが自然に解決するとは考えていません。

不登校やひきこもりの状態が長く続くことで、本人や家族が苦しい思いをすることもあります。

生活上の問題や健康面の問題が生じることもあるでしょう。

必要に応じて、医療や福祉、教育などの専門的な支援が重要になる場合もあります。

だからこそ、私は「ずっと休んでいればいい」と簡単に言い切ることもしたくありません。

一方で、「早く動かなければダメだ」と無理に行動を促すことにも慎重でありたいと思います。

ここで大切なのは……

「その人にとって、今は何が必要なのか?」

という視点ではないでしょうか。

休息が必要な人には、安心して休める環境が必要かもしれません。

少しずつ行動したい人には、その人に合った小さな目標が必要かもしれません。

誰かに話を聞いてほしい人には、安心して本音を話せる相手が必要なのかもしれません。

大切なのは、外から正解を押しつけることではなく、本人の気持ちや状態を理解しようとしながら、一緒に選択肢を考えていくことだと思っています。




■ 実験カウンセラーが考える「本当の前進」とは?

ところで、皆さんは「前に進む」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持ちますか?

学校に戻ること。

仕事を始めること。

外出できるようになること。

新しいことに挑戦すること。

もちろん、それらも前進の一つでしょう。


ただ、私は前進というものを、もう少し広い意味で考えたいと思っています。

例えば……

これまで誰にも話せなかった気持ちを、初めて言葉にできた。

今まで自分を責め続けていた人が、ほんの少しだけ「自分にも事情があったんだ」と思えた。

無理をして笑っていた人が、「今日はつらい」と言えるようになった。

そんな変化も、本人にとっては大切な一歩かもしれません。

もちろん、必ずしも毎日何かが変わるわけではありません。

昨日できたことが、今日はできなくなることもあるでしょう。

だからこそ私は、人間の変化を単純な右肩上がりのグラフのようには考えたくありません。

立ち止まることも、振り返ることも、時には道を変えることも、その人の人生の一部なのです。

そして、その人にとって何が前進なのかは、周囲が一方的に決められるものではないと思っています。





■ もし、今日も「何もできなかった」と感じているあなたへ

ここまで読んでくださった方の中には、今まさに自分自身を責めている人がいるかもしれません。

「今日も何もできなかった」

「また一日を無駄にしてしまった」

「自分は周りの人と比べて、何もできていない」

もし、そんな気持ちを抱えているのなら、私は一つだけお伝えしたいことがあります。


それは、

あなたが今日、何もできなかったと感じていることと、あなたに価値がないということは、まったく別の話だということ。


何かを達成した日だけが、価値のある一日なのでしょうか。

誰かの役に立てた日だけが、生きている意味のある一日なのでしょうか。

私はそうは思いません。

ただし、だからといって「何も気にしなくていい」と簡単に片づけるつもりもありません。

今の生活を変えたい気持ちがあるのなら、その思いも大切にしてほしい。

でも、何から始めればいいかわからないのなら、今すぐ答えを出さなくてもいい。

誰かの力を借りながら、一緒に考えていく方法もあります。



変わりたい気持ちも、変わることが怖い気持ちも、どちらもあなたの中にあっていい。

私は、そう考えています。




■ 最後に。人間の価値を、誰が決めるのでしょうか?

さて、今回も少し長くなってしまいました😅

最後に、もう一度だけ皆さんに問いかけたいと思います。


「何もしていない」と言われる人は、本当に何もしていないのでしょうか?

この記事を読む前と今とで、少しだけ見方が変わったでしょうか。


私は、人間を外側から見ただけで、その人のすべてを理解できるとは思っていません。

頑張っているように見える人にも、誰にも見せていない苦しさがあるかもしれない。

何もしていないように見える人にも、見えない努力があるかもしれない。

あるいは、本当に何もせず、ただ休んでいる日もあるかもしれない。


それでも、その人の存在価値まで否定する理由にはならないはず。

「何をしているか」と「どんな人間であるか」は、同じではありません。

そして私は、こんなことも思うのです。


人は、誰かに認められるためだけに生きているわけではない。

もちろん、誰かに認められることは嬉しいものです。

社会とのつながりも、大切なものです。

でも、他人から評価されなかったからといって、その人の人生そのものが否定されるわけではありません。


私自身、まだまだ人間について知らないことばかりです。

だからこそ、決めつけるのではなく、知ろうとしたい。

評価する前に、少しだけ立ち止まりたい。

そんな姿勢を、これからも大切にしていきたいと思っています。



最後に、今回の「心の実験」をもう一つだけ。

もし、あなたの身近に「何もしていないように見える人」がいたら……

その人が今日、何をしていたのかを問い詰める前に、こんなことを考えてみてください。

「私には見えていない、その人の時間があるのかもしれない」

そして、もしあなた自身が「何もできなかった」と感じているのなら……

「今日の自分を、できなかったことだけで評価しなくてもいいのではないか?」

そんな小さな問いを、自分自身に投げかけてみてください。



答えはすぐに出なくても構いません。

今までとは少し違う角度から、自分や誰かを眺めてみる。

それが、私の考える「心の実験」です。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次回の「心に寄り添うブログ」でお会いしましょう👋




カウンセリング 自認ほーむラボっと♪

実験カウンセラー しんちゃん

自分自身や大切な人のことで悩み、どう向き合えばよいかわからなくなることもあると思います。そんなときには、一人で答えを探し続けるのではなく、誰かと一緒に気持ちや状況を整理してみることも、一つの選択肢です。自認ほーむラボっと♪では、あなた自身の気持ちとペースを大切にしながら、一緒に考えていきます。



 
 
 

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