「あなたのため」が、誰かを傷つけることもある。― 実験カウンセラーが考える、優しさと正しさのすれ違い ―
これまでのブログでは・・・
「変わらなければいけない」という思い込みや、自分の気持ちがわからなくなったときの向き合い方についてお話ししてきました。
第3回となる今回は、少し視点を変えてみたいと思います。
今回のテーマは、日常で誰しも(特に職場等で)当たり前のように使っている、ある言葉についてです。
それは……
「あなたのためを思って言っているんだよ」
という言葉。
正直に言うと、私はこの言葉を耳にするたびに「思い上がりも甚だしいのでは?」なんて考えてしまうことがあります(笑)
もちろん、相手を大切に思う気持ちを否定したいわけではありません。
ただ、相手のためになるかどうかを、どうして伝える側が決められるのだろう?
そんな疑問が、いつも頭をよぎるのです。
もちろん、その言葉の中には優しさや愛情、心配する気持ちが含まれていることも多いことは間違いはないです。
しかし、私は時々こんなことを考えます。
「相手を思う気持ちが本物であれば、その言葉は必ず相手のためになるのだろうか?」
「相手のため」と言いながら、いつの間にか自分の正しさを証明しようとしていないだろうか。
そして、そんな問いを投げかけている私自身も、知らず知らずのうちに、同じことをしているかもしれません。
だからこそ、私も考え続けたいのです。
今日は、そんな人間の優しさに潜む不思議について、一緒に考えてみたいと思います。
■ 優しさは、必ずしも優しさとして届かない
例えば、こんな場面を想像してみてください。
学校に行けなくなってしまった子どもがいるとします。
親御さんは、心配で仕方がありません。
「このまま学校に行けなかったら、将来どうなるのだろう」
「勉強についていけなくなるんじゃないか」
「社会に出られなくなったらどうしよう」
そう考えると、いても立ってもいられなくなることもあるでしょう。
そこで、子どもに声をかけます。
「少しだけでも学校に行ってみない?」
「いつまでも休んでいたら、もっと行きづらくなるよ」
「あなたの将来が心配だから言っているんだよ」
これらの言葉は、子どもを苦しめようとして生まれたものではないはず。
むしろ、大切だからこそ出てきた言葉なのでしょう。
ところが、その言葉を受け取った子どもは、こう感じるかもしれない。
「学校に行けない自分は、ダメなんだ」
「親を困らせてしまっている」
「自分の気持ちは、わかってもらえないんだ」
もちろん、すべての子どもがそう感じるわけではないことは百も承知。
声かけが安心につながる場合もあるでしょう。
ただ、ここで考えてみたいことがあります。
伝えた側の気持ちと、受け取った側の気持ちは必ずしも一致しない・・・ということ
これは親子に限った話ではありません。
夫婦でも、恋人同士でも、友人同士でも、職場でも起こり得ることなのです。
■ あなたの「正解」は、相手にとっても正解ですか?
私たちは、これまでの人生でさまざまな経験をしてきました。
失敗した経験。
努力して報われた経験。
誰かに助けてもらった経験。
そして、苦しい思いをしながら乗り越えてきた経験。
そうした経験が積み重なり、自分なりの価値観がつくられていきます。
例えば、努力によって困難を乗り越えてきた人は、苦しんでいる相手にこう伝えるかもしれません。
「諦めなければ、きっと何とかなるよ」
その言葉には、その人自身の人生が詰まっているのでしょう。
決して間違った考え方だとは思いません。
ただ、ここで一つ疑問があります。
「自分を救ってくれた考え方が、必ずしも他人を救うとは限らないのではないか?」ということ。
努力が必要なときもあれば、休息が必要なときもあります。
誰かに背中を押してほしいときもあれば、ただ黙って隣にいてほしいときもあるでしょう。
だから私は、誰かの悩みに向き合うとき、できるだけ「自分ならこうする」という考えだけで判断しないようにしたいと思っています。
相手の人生は、私の人生ではありません。
相手が見ている景色も、これまで歩いてきた道も、私とは違うのですから。
■ 実験カウンセラーが考える「優しさの落とし穴」
ここで、少し変わったことを考えてみましょう。
もしも、あなたが誰かに親切にしたとします。
ところが、その相手は喜ぶどころか、嫌な顔をしてしまいました。
さて、皆さんならどう感じるでしょうか。
「せっかく親切にしたのに」
「相手のためを思ってやったのに」
「どうしてわかってくれないんだろう」
そんな気持ちになることもあるかもしれません。
その反応自体も、人間らしいものだと思います。
でも、私はここに一つの興味深い問いが隠れていると感じます。
「その優しさは、相手のためだったのか?それとも、自分が相手にしてあげたいことだったのか?」
少し厳しい問いに聞こえるかもしれません。
しかし、これは優しさを否定するための質問ではありません。
誰かを助けたいという思いの中には、純粋な思いやりだけでなく、自分自身の不安や期待が混ざっていることもあるのではないでしょうか。
例えば、相手が元気にならないと自分が不安になる。
相手が変わってくれないと、自分が無力に感じてしまう。
だから、何とかしてあげたい。
そんな気持ちがあっても不思議ではありません。
私たち人間の感情は、それほど単純ではないからです。
大切なのは、自分の優しさを疑って責めることではありません。
「私は今、相手の何を見ているのだろう。そして、自分の中では何が起きているのだろう」
そう問いかけてみることだと思っています。
■ ここで一つ、心の実験をしてみませんか?
さて、ここからが実験カウンセラーらしい時間です。
今回は、少しだけ頭の中で実験をしてみましょう。
題して……
『善意の翻訳実験』
想像してください。
あなたの大切な人が、落ち込んだ様子でこう言いました。
「もう、何もしたくない……」
あなたなら、どう答えますか?
A:「そんなこと言わずに、少しは頑張ってみようよ」
B:「ずっと頑張ってきたんだね。今は休んでみたら?」
C:「そうなんだね。何があったのか、話せそう?」
D:「……」と、何も言わずに隣に座る。
さて、どれが正解でしょうか?
↓↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
私の答えは……
「この情報だけでは、正解は決められない」です。
なぜなら、相手がどのような状態なのか、まだ十分にわからないから。
背中を押してほしいのかもしれない。
休むことを認めてほしいのかもしれない。
話を聞いてほしいのかもしれない。
あるいは、今は誰とも話したくないのかもしれない。
同じ言葉でも、相手の状態や関係性によって、その意味は変わってきます。
もちろん、心身の安全が心配されるときには、静かに見守るだけでなく、状態を確認したり、適切な支援につなげたりすることも必要です。
この実験で私がお伝えしたいのは、AからDのどれかを選ぶ技術ではなくて、
「自分が伝えたい言葉」と「相手が今必要としているもの」を、分けて考えてみること。
これこそが、私の考える小さな心の実験です。
■ 「わかってあげる」より「わかろうとする」
カウンセリングの世界では、【共感】という言葉がよく使われます。
一般的に言葉にはしなくても、職場や家庭をはじめ、さまざまな人間関係においてある程度の「共感」は最低限必要とされており、それは組織の秩序や人間関係の安定を担う大事な心得でもあるでしょう。
しかし、私はカウンセリングにおいて「共感」という言葉を、とても慎重に扱いたいと考えています。
なぜなら、「共感しているつもり」が、いつの間にか「理解したつもり」に変わってしまうことを恐れているからです。
人は、他人の心を完全に理解することができるのでしょうか?
生まれ育った環境も、経験も、価値観も違う。
それなのに「あなたの気持ちはわかります」と簡単に言い切ってしまって、本当によいのか?
私は、共感を否定したいわけではなく、共感したつもりになって、相手を理解する努力を止めてしまうことを避けたいのです。
だからこそ、「わかります」と言い切るよりも、
「もっとあなたのことを知りたい」という姿勢を大切にしていたいのです。
時々、こう考えることがあります。↓
そもそも、他人の気持ちを完全に理解することはできるのか?
生まれ育った環境も違えば、経験も違う。
同じ出来事を経験しても、感じ方は人それぞれです。
そんな人間同士が、相手の気持ちを100%理解することは、簡単ではないと思います。
とはいえ、それでも私たちは誰かを理解しようと努めることはできます。
「そう感じたんだね」
「それは、どういう気持ちだったの?」
「私はこう受け取ったけれど、違っていたら教えてね」
そんな小さな対話を重ねていくことはできます。
そして、私は・・・
「あなたの気持ちはわかる」と言い切ることより、「あなたの気持ちを知りたい」と向き合い続けることに、優しさが宿る場合もあるのではないか・・・と。
わからないからこそ、聞いてみる。
違うからこそ、面白い。
理解できないからこそ、対話が生まれる。
それは、私が実験カウンセラーとして大切にしている考え方の一つです。
■ 今日からできる、小さな「バグ」の入れ方
ここまで読んでくださった皆さんに、最後にもう一つ提案です。
次に誰かへ「こうしたほうがいいよ」と助言したくなったとき、ほんの数秒だけ、その言葉を止めてみてください。
そして、代わりにこう聞いてみるのです。
「今は、話を聞いてほしい? それとも、一緒に方法を考えてみる?」
たったこれだけです。
もちろん、毎回この言葉を使えばうまくいく、というものではありません。
相手が答えたくないときもあるでしょう。
言葉を変えても、すれ違ってしまうことだってあると思います。
それでも、いつもと少し違う関わり方を試してみる。
相手の反応を見て、必要なら自分の関わり方を見直してみる。
私は、そうした試行錯誤に意味があると考えています。
この小さな変化こそ、私の言う「日常にバグを投入する」という考え方です。
バグとは、誰かを混乱させるためのものではありません。
当たり前だと思っていた自分の考え方に、ほんの少し違う視点を加えてみること。
そこから新しい発見が生まれるかもしれません。
■ 最後に。優しさとは何なのでしょうか?
今回の記事では、「あなたのため」という言葉について考えてきました。
誤解してほしくないのは、
誰かを心配することや、助言することが悪いと言いたいわけではないということ。
時には、相手にとって耳の痛い言葉を伝える必要もあるでしょう。
相手の安全を守るために、はっきり意見を伝えなければならない場面もあります。
だからこそ、優しさとは単純に「何も言わないこと」でも、「何でも受け入れること」でもないと思います。
私自身、優しさとは何なのか、その答えを簡単に出せるとは思っていません。
ただ、一つ大切にしたいことがあります。
↓
「自分は正しいことをしている」と思ったときほど、一度立ち止まってみること。
自分の正しさを大切にするのと同じように、相手の感じ方にも目を向けてみる。
相手のためを思う気持ちと、実際に相手の力になることは、必ずしも同じではないからです。
そして、もし自分の優しさが相手を傷つけてしまったと気づいたなら。
そのときは、自分を責め続けるのではなく、何が起きたのかを一緒に考え、必要であれば謝り、関わり方を変えていけばいいのだと思います。
人間関係に、完璧な正解はない。
だからこそ、私たちは対話をするんです。
今日、これを見ているあなたが大切な誰かにかけようとした、その一言。
もし少しだけ違う言葉にしてみたら、何が変わるか。
そして、その言葉を受け取る相手は、今どんな景色を見ているのか。
そんなことを、ほんの少し考えていただけたら嬉しいです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また次回の「心に寄り添うブログ」でお会いしましょう。
👋
カウンセリング 自認ほーむラボっと♪
実験カウンセラー しんちゃん


コメント